蚕の復活

日本には歴史を通じて数多くの種の蚕が生育してきました。農研機構(国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構)は、1000種以上の蚕の遺伝子を保存する取り組みを行なっています。

日本では江戸時代まで、人々はきものの美を追い求め、それがどういう素材からつくられているかに至るまで、並々ならぬ探求心を持っていました。当時の文献を見ると、美しい着物の絹がどこでつくられていて、その糸を吐いた蚕がどういう桑を食べていたかを、先人が調べていた記録が残っています。それほどに人々の美に対する意識は高く、美は上位に置かれていました。

18世紀半ばからヨーロッパでは産業革命が起こり、日本でも江戸時代末期からは機械紡績の導入が進み、さらに明治になると殖産興業の方針の下、製糸業、織物産業の工業化が進みました。当時の日本で絹の輸出は外貨を獲得できる強力な手段であったため、国を挙げて取り組んでいました。輸出産業に育て外貨を稼ぐために、育てる蚕の品種もある程度限定され、国の指揮の下、養蚕農家は全国へと広まっていきました。

その流れのなかで、江戸時代までにあったような蚕の多様性は失われていきました。体が小さくて糸がとりづらいけども、美しい糸を吐くといった蚕は、糸をとる効率が悪い蚕と位置付けられ排除されました。品種改良が繰り返され、体が大きく、糸を効率的にたくさんとれる蚕が残り、美が最優先ではなくなっていきました。

明治から昭和初期にかけて養蚕は日本の近代化を支えましたが、1940年代以降はさまざまな化学繊維の普及もあり、1960年付近を頂点に、日本の養蚕は衰退へと向かいます。人件費の安い地域、効率的に生産できる地域で蚕を育成するようになり、養蚕は中国やブラジルへと移り、国産の蚕は非常に少なくなってしまいました。かつて日本は生糸の輸出量で世界一を誇りましたが、現在では最盛期の1%以下です。

私たちは、農研機構が保存している1000種以上の蚕の中から、江戸以前に存在していた、最高に美しい糸の蚕を復活させたいと考えています。その先駆けとして「セヴェンヌ白」をはじめとした、数種の蚕の復活を試みています。「セヴェンヌ白」は美を最上位に置いていた江戸期には各地で育てられていましたが、繭が小さく、さらに育てるのに手間がかかるため糸をとる効率が悪いため、養蚕されなくなっていきました。しかしその吐く糸には豊かな光沢と他に類をみない白さがあり、圧倒的な美を生み出す品種です。

織物の根幹にある絹の美を求め、蚕の養蚕にも力を入れています。

勇気ある回帰