蚕の復活
古代草木染色の復活
私たちは、染織にまつわる研究開発部門「HOSOO STUDIES」を立ち上げ、過去と現在とを繋げ、未来への可能性を探求しています。
その中で行なってきた一つの取り組みが、古代草木染色の研究です。「自然染色」と聞くと、色がくすんでいるイメージがある方も多いのではないでしょうか。それらは古い技法で、時代が下って化学染料が開発されると、それに取って代わられたとお考えの方もいらっしゃると思います。
私たちが問うてきたのは、はたして本当にそうなのか、ということでした。染色についての過去の文献を渉猟し、染めの材料を実際に蒐集しながら、外部の研究者とも連携し、自分たちの常識を疑って調査を進めてきました。
かつて奈良・平安期には、自然染色は王朝の色、貴族の色を象徴していました。冠位十二階で一番上の地位「徳」を表す色は紫でしたが、その紫はニホンムラサキ草という植物の根を煎じた自然染色によって生み出されていました。
さらに「服用」という言葉に象徴されるように、古い時代には自然染色された衣服を着ることは、文字通り「薬」を意味していました。中国医学の三大古典の一つで、紀元前200年ごろに編幕されたと言われる『黄帝内経』には、「小薬」「中薬」「大薬」という区別が記されています。小薬は草根木皮(今でいう漢方薬です)、中薬は鍼灸、大薬は飲食と衣服です。衣服の重要視の背後にあるのは、皮膚を通して良いものを身体に取り入れていくという思想でした。染色の美と健康はかつて一体だったのです。
歴史をさかのぼってリサーチを行なうなかでたどり着いたのは、自然染色は色がくすんでいるわけではまったくない、という事実でした。技術を持った職人が、厳選された水と染料を使ってしかるべきタイミングで染め上げれば、自然染色は、圧倒的に鮮やかな色を出すことができます。そしてその色は、時が経ち時代が変わるなかで、変色したとしても美しいのです。正倉院に奈良時代から残っている裂が、今もなお美しいのはそのためです。
古代の美しい自然染色を復活させたいと考え、2021年に西陣の工房の近くに、「古代染色研究所」を立ち上げました。研究所があるのは元々漢方を営んでいた、100年以上前からある町家です。染色研究の第一人者で、染色作家としても活動されていた前田雨城先生という方がいますが、その唯一の弟子である山本晃先生と共に、研究所を立ち上げました。
染色には水も重要です。西陣の水は軟水として知られており、お茶にも適しているため、お茶の三千家は同じ水脈の井戸水を用いてきました。西陣の地下水は含有物が少ないため変色しにくく、水温も一定であるため、染色にもふさわしいとされてきました。古代の方法を踏襲し、西陣の水を井戸から汲み上げ、桶に入れ、練りと媒染と染めをします。現代では通常、化学染料を用い、染色を助ける媒染剤を使って染色を行ないます。しかし古代染色研究所では、そうではなく、古代のやり方そのままで染色をしています。西陣の水に、藁を焼いて出た灰(藁灰)に入れてしばらく抽出すると、アルカリ性の灰汁が出てきます。それを用いて練りをし、自然草木染めで布を染めると、色の美しさがまったく違ってきます。
私たちが行なっている草木染めの材料は、元は植物などの生き物です。生き物の命を写しとると考えれば、「旬」も大切です。旬の素材を、旬のタイミングで使う。植物も花からでは色が出ないこともあるため、根など、エネルギーを蓄えている旬の場所を使います。冠位十二階の紫を生むニホンムラサキ草は、今では絶滅危惧種ですが、伊勢神宮の式年遷宮等のために、かろうじて残存しています。染の材料となる絶滅危惧種の植物の栽培も復活させるべく、丹波の工房に隣接する畑を設け、栽培を開始しています。
自然染色の文化は、一度は失われてしまったものです。その失われた美を復活させていくことが、古代染色研究所の挑戦です。山本先生の指導の下、若い職人を育成し、技術を継承する試みを行なっています。